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京都地方裁判所 昭和51年(ワ)330号 判決

原告 吉田国明

右訴訟代理人弁護士 島田信治

被告(亡出口安明訴訟承継人) 出口輝子

〈ほか三名〉

右被告ら訴訟代理人弁護士 猪野愈

右同 三宅邦明

主文

一  原告の各請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告出口輝子(以下「被告輝子」という。)は、原告に対し、金三二四三万二七一一円及び内金一五八八万五八八〇円に対する昭和四七年八月一日から支払ずみまで、内金四五二万五六三一円に対する昭和四八年八月一日から支払ずみまで、内金三六二万〇五〇五円に対する昭和四九年八月一日から支払ずみまで、内金八四〇万〇六九五円に対する昭和五〇年八月一日から支払ずみまで、いずれも年五分の割合による金員を支払え。

2  被告出口博子、同出口隆及び同出口明夫(以下それぞれを「被告博子」、「被告隆」、「被告明夫」という。)は、それぞれ原告に対し、金二一六二万一八〇七円及び内金一〇五九万〇五八六円に対する昭和四七年八月一日から支払ずみまで、内金三〇一万七〇八七円に対する昭和四八年八月一日から支払ずみまで、内金二四一万三六七〇円に対する昭和四九年八月一日から支払ずみまで、内金五六〇万〇四六四円に対する昭和五〇年八月一日から支払ずみまで、いずれも年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告らの負担とする。

4  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  当事者らの地位

被告輝子は亡出口安明医師(以下「出口医師」という。)の妻、被告博子、同隆及び同明夫はいずれも同医師の子であり、上田尚司医師及び山根毅医師(以下それぞれを「上田医師」、「山根医師」という。)は、いずれも昭和四六年六、七月当時出口医師に雇用され、原告の診療に従事したものである。

2  原告の臨床経過等

(一) 原告は、昭和四六年六月五日、出口医師の経営する出口病院を訪れて同医師の診察を受けたところ、十二指腸潰瘍であると診断され、同月一七日同病院に入院した。そして、同医師の指示に従って同月二九日午後五時の夕食以後来るべき手術に備えて絶食し、同月三〇日午後八時から翌七月一日午前二時にかけて十二指腸潰瘍の手術を受け、手術当日の同年六月三〇日から七月四日まで輸血を受けた。右手術は、上田医師が麻酔(フローセン)の挿管を終えた後、出口医師が執刀し、上田医師が手術助手を務めて行われたが、手術の後半ころ急に看護婦らが手術室に出入りしていた。

(二) 手術直後に原告は意識不明、顔面蒼白、しゃっくり状の痙攣の頻発、うめき声をあげながらの多量の排痰というような状態に陥っており、しゃっくりが同日の夕刻まで、また、排痰が同月五日の夕刻まで続いたほか、意識も同月一〇日ころまで戻らなかった。右手術後、原告は、縫合不全などの開腹術後遺症としての腹膜炎を併発し、夜も眠れぬ痛みが続いたほか、同月六日までに腸雑音、発熱、下痢(三回)などの所見が現れ、更に、その後、白血球数の増多(同月一〇日に二万六二九〇)、手術創からの胆汁様膿汁の漏出などの重症症状を呈するに至ったため、同月一五日午後九時三〇分ころから腹膜炎の手術を受け、病室のベッドに戻ったのは同日午後一二時であった。右手術も、山根医師が麻酔(フローセン)の挿管を終えた後、出口医師が執刀し、山根医師が手術助手を務めて行われた。

(三) 原告は、右手術の翌日である同月一六日から同月一八日ころまで昼夜を問わず妄想に悩まされて譫言をいい、かつ、泣き叫ぶという状態になり、その後は頻繁に襲う痛みと慢性の不眠症に悩まされ続けることとなった。また、右手術の際に腹腔内にガーゼを遺留したまま縫合されたため、同年八月二三日に右ガーゼが発見、除去されるまで、手術創部から分泌物や多量の排膿があった。

(四) その後、原告は、同年一〇月二日に出口病院を一応退院したものの、退院後の健康状態はおもわしくなく、全身が衰弱し、GOT・GPTが異常値を示したほか、四肢のしびれ感、些細な精神的不安や体動による急激な心悸昂進、めまい、発汗及び意識喪失、突然の発声障害などの症状(以下「本件障害」という。)が見られ、自宅近くの診療所へ通院して治療を続けているものの、現在も長距離の歩行不能、頭部の絶え間ない鈍痛、長時間の静止困難、神経集中不能などの症状があり、この状況は今後も好転する見込みはない。

3  本件障害の原因

本件障害としてあらわれた原告の疾患は、術後肝炎、多発性神経炎、脳循環不全及び血管神経性狭心症というものであるが、原告には、昭和四六年六月三〇日に出口病院で十二指腸潰瘍の手術を受けるまで、胃の調子が少々おかしいという自覚症状があったこと以外には、殆ど病気らしい病気もなく、極めて頑健であったところ、十二指腸潰瘍手術及び腹膜炎手術(以下、これらの手術を併せて「本件手術」という。)を受けた後から前記のような異常状態を経て、右疾病に罹患するに至ったものであるから、本件障害は右手術及びそれに伴う諸処置(輸血、麻酔、術前術後の全身管理など)に起因して発生したものである。

4  被告らの責任

(一) 出口医師の不法行為責任

出口医師並びにその被用者たる上田医師及び山根医師は、左記のとおり当時の医療水準に照らして不適切な治療行為をなし、その結果第3項のとおり、原告に本件障害を生じさせるに至ったものであるから、出口医師は、原告に対し、不法行為に基づく損害賠償責任を負う。

(1) 麻酔施行上の過失

(a) 麻酔法選択の誤り

フローセン麻酔は他の麻酔と比べて肝障害を起しやすいうえ、四週間以内の反復投与によって更にその危険が増すものであるから、医師としては、前回の手術から一五日しかたっていない二回目の手術(本件腹膜炎手術)の際には、フローセン麻酔以外の麻酔法を選択すべきであるのに、出口医師らは漫然とフローセン麻酔によって二回目の手術を行った。

(b) 麻酔施術上の過誤

医師としては、麻酔施行の際には、酸素ボンベ内の酸素の残量に十分注意し、患者が酸素欠乏に陥ることのないよう注意すべきであるのに、出口医師らは、これを怠り、手術中に原告を酸素欠乏状態に陥らせた。このことは、原告が術後酸素欠乏の一症状である痙攣発作に陥っていたことにより裏付けられる。

(2) 不必要な輸血を行った過失

輸血には肝炎ウイルス感染の危険があるから、医師としては、貧血が見られる場合など必要最小限の場合にのみ輸血をすべきであるのに、出口医師らは、貧血状態にあるとは到底いえない原告に対し、漫然と不必要な輸血を行った。

(3) 手術施行上の過失

(a) 十二指腸潰瘍手術

医師としては、手術の際には雑菌の感染や縫合不全による開腹術後遺症として腹膜炎を生じさせないよう十分に注意すべきであるのに、出口医師らは、これを怠り、麻酔の挿管を行った不潔介助者の医師が、清潔介助者であるべき手術助手をも務めて手術を行ったほか、更に、不十分な縫合をなし、腹膜炎を招来させた。

(b) 腹膜炎手術

出口医師らは、腹膜炎手術の際、腹腔内にガーゼを遺留したまま縫合した。

(4) 全身管埋上の過失

(a) 不適切な絶食指示

開腹手術に際しては、患者の栄養状態を良好に保つため術前の絶食時間はできるだけ短くすべきであり、一般には四ないし六時間で足るとされているところ、出口医師らは、二八時間にわたる絶食を命じ、その結果、原告は術後に全身衰弱状態に陥ることとなった。

(b) 腹膜炎に対する不適切な処置

腹膜炎は出来るだけ早く手当をしなければならない重篤な疾患であるところ、術後、原告には夜も眠れぬ痛みが続いたほか、同月六日までに腸雑音、発熱、下痢(三回)などの所見が現れていたのであるから、医師としては、当然その時点で腹膜炎罹患の有無について検査すべきであったのに、出口医師らはこれを放置した。更に、その後、同年七月一〇日には白血球数が二万六二九〇にまで達し、腹膜炎の進行が決定的となったにもかかわらず、出口医師らは同月一五日まで五日間もこれを放置し、腹膜炎を悪化させた。

(二) 出口医師の債務不履行責任

(1) 原告と出口医師とは、同年六月五日原告の十二指腸潰瘍を二週間程度で治癒せしめる旨の請負契約を締結したところ、同医師において右約定を履行しなかったのであるから、原告に対し、債務不履行に基づく損害賠償責任を負う。

(2) 仮に右の主張が認められないとしても、原告と出口医師とは、前同日、原告の十二指腸潰瘍の治療を目的とする診療契約を締結し、出口医師は、右診療契約により、原告に対し適切な治療行為をなすべき義務を負担した。しかるに、出口医師並びにその履行補助者たる上田医師及び山根医師は、前項のとおり、不適切な治療行為をなして原告に本件障害を生じさせるに至ったものであるから、出口医師は、原告に対し、債務不履行に基づく損害賠償責任を負う。

(三) 相続

出口医師は昭和五一年七月一七日死亡し、被告らがこれを相続した。

5  損害 合計九七二九万八一三二円

(一) 医療費 五〇万三八五三円

(二) 証拠保全に要した費用 四一万四一〇〇円

(三) 休業損害(昭和五〇年七月末日まで) 合計五七〇二万二九五〇円

原告は、昭和四六年六月当時、ミヨシゴム工業所の名称のもと、肩書住所地に約五六平方メートルの工場を構え、五名の工員と三名の家族労務者を配してヘップ(サンダル状の履物)の製造卸を営み、年間二七一五万三七八六円の収益をあげていたものであるが、本件医療事故のため仕事内容のいかんに拘らず、全く就労不能の状態にあり、また、家族労務者として右営業を助けていた原告の妻も、昭和四六年八月以降原告の看病に明け暮れる始末であったため工場を再開できず、昭和四七年七月までは全く収益のない状態であった。同年八月から原告の家族のみで徐々に工場を再開したが、妻子のみの営業ではとうてい従前の収益を上げることはできず、当初の一年間は従前の五割以下、その次の一年間は六割以下、それに続く一年間は八割以下の収益に止どまった。

(1) 昭和四六年八月一日~昭和四七年七月末日 二七一五万三七八六円

(2) 昭和四七年八月一日~昭和四八年七月末日 一三五七万六八九三円

(3) 昭和四八年八月一日~昭和四九年七月末日 一〇八六万一五一四円

(4) 昭和四九年八月一日~昭和五〇年七月末日 五四三万〇七五七円

(四) 逸失利益 合計一九三五万七二二九円

昭和五〇年八月以降、少なくとも四年間は従前の収益の八割を維持することはできない状態にある。

二七一五万三七八六円×〇・二×三・五六四三七〇四(四年間のホフマン係数)=一九三五万七二二九円

(五) 慰謝料 二〇〇〇万円

よって、原告は、選択的に不法行為又は債務不履行に基づく損害賠償請求として、被告輝子に対し、金三二四三万二七一一円及び内金一五八八万五八八〇円に対する昭和四七年八月一日から支払ずみまで、内金四五二万五六三一円に対する昭和四八年八月一日から支払ずみまで、内金三六二万〇五〇五円に対する昭和四九年八月一日から支払ずみまで、内金八四〇万〇六九五円に対する昭和五〇年八月一日から支払ずみまで、いずれも民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を、被告博子、同隆及び同明夫に対し、それぞれ金二一六二万一八〇七円及び内金一〇五九万〇五八六円に対する昭和四七年八月一日から支払ずみまで、内金三〇一万七〇八七円に対する昭和四八年八月一日から支払ずみまで、内金二四一万三六七〇円に対する昭和四九年八月一日から支払ずみまで、内金五六〇万〇四六四円に対する昭和五〇年八月一日から支払ずみまで、いずれも民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を各求める。

二  請求原因に対する認否及び被告の主張

1  請求原因1の事実は認める。

2(一)  同2(一)のうち、手術時間を否認し、手術の後半ころ急に看護婦らが手術室に出入りしていたことは知らず、その余の事実は認める。

手術自体に要した時間は、約三時間であった。

(二) 同2(二)のうち、手術直後に原告が意識不明で顔面蒼白であったこと、しゃっくりとは別に痙攣の症状があったこと及び原告の意識が昭和四六年七月一〇日まで戻らなかったことは否認し、その余の事実は認める。

(三) 同2(三)のうち、同年八月二三日に手術創部からガーゼが発見されたことは認め、その余の事実は否認する。

(四) 同2(四)のうち、原告が、同年一〇月二日に退院したことは認め、その余の事実は知らない。

3  同3の事実は否認する。

4(一)  同4(一)、(二)の事実は否認する。

十二指腸潰瘍に関する手術には何らミスはなく、その病巣は完全に除去されており、偶発症である腹膜炎の合併に際しても医師として十全の処置をとり、手術に関するミスは全くなく、そのアフターケアーも完全であり、また、二回にわたる手術に際しての麻酔についても何らのミスもない。

(二) 同4(三)の事実は認める。

5  同5(一)ないし(四)の事実は知らない。(五)は争う。

第三証拠《省略》

理由

一  当事者らの地位

被告輝子が出口医師の妻、被告博子、同隆及び同明夫がいずれも同医師の子であること、上田医師及び山根医師が、いずれも昭和四六年六、七月当時、出口医師に雇用され、原告の診療に従事したものであることは、いずれも当事者間に争いがない。

二  原告の診療経過等

原告が、昭和四六年六月五日、出口医師の経営する出口病院を訪れて同医師の診察を受けたところ、十二指腸潰瘍であると診断され、同月一七日同病院に入院したこと、そして、同医師の指示に従って同月二九日午後五時の夕食以後来るべき手術に備えて絶食し、同月三〇日午後八時から翌七月一日午前二時にかけて十二指腸潰瘍の手術を受け(手術自体に要した時間は除く)、手術当日の同年六月三〇日から七月四日まで輸血を受けたこと、右手術は、上田医師が麻酔(フローセン)の挿管を終えた後、出口医師が執刀し、上田医師が手術助手を務めて行われたこと、手術直後に原告が、しゃっくりの頻発、うめき声をあげながらの多量の排痰というような状態に陥っており、しゃっくりは同日の夕刻まで続き、また、排痰は同月五日の夕刻まで続いたこと、原告が、開腹術後遺症として腹膜炎を併発し、同月六日までに腸雑音、発熱、下痢(三回)などの所見が現われ、更に、その後、白血球数の増多(同月一〇日に二万六二九〇)、手術創からの胆汁様膿汁の漏出などの重症症状を呈するにいたったため、同月一五日午後九時三〇分ころから腹膜炎の手術を受け、病室のベッドに戻ったのは同日午後一二時であったこと、右腹膜炎手術も出口医師の執刀で行われたこと、以上の事実はいずれも当事者間に争いがなく、この争いのない事実に、《証拠省略》を総合すれば、以下の事実が認められる。

1  原告は、前記一回目の手術については、術前の諸検査を受けた後(貧血の所見は見られなかった。)、同医師の指示に従って同月二九日の夕食後から絶食し(但し、手術までに一〇〇〇ミリリットルの輸液投与を受けている。)、同月三〇日術前術後の諸処置を含めて午後八時から翌七月一日午前二時にかけて十二指腸潰瘍の手術を受け、手術当日の同年六月三〇日から七月四日まで一日二〇〇ミリリットル、合計一〇〇〇ミリリットルの輸血を受けた。右手術は、上田医師が麻酔(フローセン)の挿管を終えた後、出口医師が執刀し、上田医師が手術助手を務めて行われたが、出血量は三〇グラムで、手術中、原告の血圧及び脈拍はいずれも安定しており、脈拍が急に増加したとか、血圧が急に下がったというような所見は見られなかった。

2  手術室から帰室した原告は、しゃっくりの頻発、歯をくいしばっての震え、うめき声をあげながらの多量の排痰というような状態に陥っており、しゃっくりは同日の夕刻まで、排痰は同月五日の夕刻までそれぞれ続いたが、意識は同月二日には回復し以後清明であった。ところが、その後、原告は、縫合不全による腹膜炎を併発し、創痛及び発熱が続き、更に、白血球数の増多(同月一〇日・二万六二九〇、同月一二日・二万二〇四〇、同月一三日・一万七七六〇)、手術創からの胆汁様膿汁の漏出などの重症症状を呈するにいたったため、前記のとおり腹膜炎の手術を受けた。右手術も、山根医師が麻酔(フローセン)の挿管を終えた後、出口医師が執刀し、山根医師が手術助手を務めて行われたが、手術中、原告の血圧は安定しており、血圧が急に下がったというような所見は見られなかった。

3  原告は、右手術の翌日である同月一六日夜間には幻覚症状があらわれ、一睡もせずに喋り続けたところ、その後それも治まったが、創痛のほか、時に不眠状態に陥ることがあった。また、手術創部からの創傷液は当初減少していたものの、八月に入ってから増加し、膿も多量に出るようになったが、同月二三日に創部からガーゼが発見、除去された後は、減少に向かった。

但し、同年九月八日に至って肝炎の症状(GOT一〇七、GPT一一二)を呈したため、以後手術創部の治療に併せて肝炎の治療が続けられることとなった。

4  その後、原告の手術創部は順調に快復し、原告はひとりで歩行もできるようになったことから、同月下旬になると退院を希望するようになった。これに対し、出口医師は、原告の、GOT、GPTが依然高い数値を示していたことから、入院を継続して肝炎の治療をするよう説得したが、原告の退院希望は強く、結局、原告は同年一〇月二日出口病院を退院し、以後、通院して肝炎の治療を続けることとなった。

5  原告は、退院後一週間に一、二回程度出口病院に通院したが、同年一〇月下旬から一一月上旬にかけて一時期GOT、GPTの数値が下がったものの、同年一二月になると再び右数値が上昇して、同月二三日にはGOTは一三二、GPTは二〇〇ないし二五〇と高い数値を示し、診察の際全身の倦怠を訴えることも多かった。この間、原告は、天理病院において診察を受けたほか、自宅近くの医師の診察を受けたこともあったが、翌四七年一月一八日以後出口病院への通院を行なわなくなった。

6  その後、原告は、同年三月二三日、前之園診療所を訪れ、医師前之園思無邪(以下「前之園医師」という。)の診察を受けたが、右時点において、原告は、数人に担がれて右診療所を訪れるほど全身の衰弱がひどく、抑うつ、寡黙状態を示していたほか、些細な精神的不安や体動による急激な心悸昂進、めまい、発汗、意識喪失、突然の発声障害等の症状を呈し、更に、肝蔵の腫脹が認められた。同医師は、原告に付き添ってきた者から、原告が出口病院において十二指腸潰瘍の手術を受け、術後一〇日以上も昏睡状態が続いたこと、その後腹膜炎を併発したこと、右病院において手術後血清肝炎に罹患している旨指摘されたことなどの話を聞き、原告の右症状は、出口病院における手術及びその後の経過不良によるものと考え以後原告の治療にあたったが、生化学検査の結果(GOT一一四、GPT二五八)やその後の診察において原告にみられた、右初診日と同様の症状更には四肢や全身のしびれ感等の症状を総合的に判断し、昭和五〇年三月二〇日時点で、原告の疾患について「血清肝炎」「多発性神経炎」「脳循環不全」「血管神経性狭心症」との診断を行った。なお、同医師は、その後の昭和五二年八月五日には、「血清肝炎」「汎発性腹膜炎開腹後遺症」との診断名を付したうえ、初診時に比しかなり良好な経過をたどるも、なお術後後遺症としての脳循環不全、椎骨動脈疼痛症状が残存し、引き続き加療及び充分な注意を必要とする旨の診断を行っている。

7  その後、肝炎については昭和五三年六月までに一応治癒したが、その余の前記各症状については右時点においても多少残存しており、そのうち、しびれ感すなわち両側手首より先端部、両側足首より先端部の知覚低下の症状は、昭和六〇年上旬においてもみられた。

以上の事実が認められる。《証拠判断省略》

三  本件障害の原因

右認定のとおり、原告が、昭和四七年三月二三日、前之園医師の診察を受けた時点及びその後においては、全身の衰弱を始めとする本件障害が原告の身体に生じており、右初診日以後原告の治療にあたった同医師が、本件障害としてあらわれた原告の疾患を「血清肝炎」「多発性神経炎」「脳循環不全」「血管神経性狭心症」と診断したことが認められる。

そこで、右各疾患が、本件各手術又はそれに伴う術前術後の諸処置によって発症する蓋然性があるかどうか検討する。

1  血清肝炎について

《証拠省略》によれば、輸血によって血清肝炎が発症しうることが認められるところ、前記認定のとおり、原告は本件手術時及びその後において輸血を受けたこと、昭和四六年九月八日に至ってGOT、GPTの数値が上昇して原告に肝炎の症状があらわれ、同年一二月下旬においても依然高い数値を示していたことなどの事実に照らすと、原告は、右輸血に起因して肝炎に罹患したことが十分考えられる。もっとも、《証拠省略》によれば、麻酔薬あるいは手術侵襲そのものによっても手術後に肝炎が発症しうることが認められるところ、前認定のとおり、本件手術の際原告に麻酔(フローセン)が使用されていること、証人前之園思無邪の証言によれば、昭和四六、七年当時は、血清肝炎であるかどうかを科学的に証明する方法は未だ開発されておらず、血清肝炎か、薬物等他の原因によるものか判別することが困難であったことが認められることなどの事実に照らすと、原告が罹患した肝炎が血清肝炎であったかどうかは必ずしも明らかでないけれども、いずれにせよ、前記各認定事実によれば、原告が本件手術の機会に輸血もしくは麻酔薬等によって肝炎に罹患し、これがその後数年間治癒しなかったというべきである。

2  多発性神経炎について

《証拠省略》を総合すれば、前記二において認定した原告の四肢のしびれ感は、多発性神経炎に特有の両側手首より先端部及び両側足首より先端部の手袋靴下様の知覚低下の症状であり、原告は、多発性神経炎に罹患したものと認められる。

そこで進んで、本件手術又はそれに伴う術前術後の諸処置がその原因であるか検討するに、原告は腹膜炎又は術後の全身衰弱に起因して多発性神経炎が生じたかの如く主張し、《証拠省略》中には右主張に副う供述部分が存するが、《証拠省略》によれば、感染症に起因して多発性神経炎が発症することもあるものの、そこでいう感染症とはギラン・バレ症候群、ジフテリア、ハンセン氏病、ヘルペス等特定の感染症であり、感染症であれば何であっても多発性神経炎の原因となるわけではなく、これまで、腸内の常在細菌による感染症である腹膜炎によって多発性神経炎がおこったという報告例はなく、また術後の全身衰弱によって多発性神経炎が起ることも医学的に通常考えられないことが認められる。加えて、前認定のとおり、前之園医師は、原告の出口病院における術後の状態が、一〇日以上も昏睡状態が続くほど重篤であったと認識していたもので、同医師の右供述部分はこのことが重要な判断要素となっているものと解せられるけれども、かような事実は認められない(術後に原告にみられた諸症状についての評価は後記3で述べるとおりである。)ことなどの諸事情に照らせば、右供述部分は必ずしも信用しがたく、原告の主張は採用できない。

その他、本件手術及びそれに伴う諸処置によって多発性神経炎が発症したことを疑わせる証拠もない。

3  脳循環不全について

前記二において認定したところに《証拠省略》を総合すれば、原告には、昭和四七年三月二三日当時及びその後において、些細な精神的不安や体動による急激な心悸昂進、めまい、発汗及び意識喪失、突然の発声障害等の症状が存し、過度の頸動脈洞反射が見られたことが認められるところ、原告は、右症状は、麻酔中の酸素欠乏ないし術後の全身衰弱によるショック状態の後遺症としての脳循環不全というべきものであるかの如く主張し、《証拠省略》中にはこれに副う供述部分が存する。

しかしながら、《証拠省略》によれば、手術中に酸素欠乏をきたせば著名な血圧低下がみられるものであることが認められ、また、森鑑定の結果によれば、ショックとは末梢循環不全、即ち、組織に十分な血液循環が得られない状態をいい、敗血症が原因である場合を除き、全身の著しい血圧低下を伴うものであることが認められるところ(ショックとは全身症状であり、特定の器官、例えば脳のみに限局して発現することはない。)、前記二において認定したところに《証拠省略》を総合すれば、二回にわたる手術の術中、術後を通じて血圧は安定しており、急激に低下するような所見は見られなかったことが認められるから、原告には、術中酸素欠乏が生じたことはなかったし、術中、術後を通じてショック状態に陥ったこともなかったものと解される。

もっとも、前記二において認定したところによれば、原告は、十二指腸潰瘍手術の術後に、しゃっくりの頻発、歯をくいしばっての震え、うめき声をあげながらの多量の排痰などの所見を呈していたことが認められるが、《証拠省略》によれば、術後に、しゃっくりの頻発、うめき声をあげながらの多量の排痰の所見を呈することは、本件のように気管内挿管をおこなった場合にはしばしば起こることであって異常とは言えず、また、術後に歯をくいしばっての震えが生じることも、手術中、麻酔薬によって脳の体温調節中枢が抑制され、体温が低下していたものが、術後、麻酔から覚醒し、体温調節中枢の機能が回復したために無意識の内に体温を上げようとすることにより起こる現象であり、麻酔からの覚醒過程でしばしば見られるもので異常とは言えない〔なお、原告は、単なる震えではなく痙攣であった旨主張し、《証拠省略》中には右主張に副う供述部分が存するが、《証拠省略》によれば、手術と麻酔の実際をよく知らない一般人には、術後にしばしば見られる震えと痙攣との区別が困難であることが認められるほか、カルテ及び看護記録にも痙攣という異常事態の発生を窺わせる記載が見られないことに鑑みれば、右各供述部分はにわかに信用しがたく、原告に痙攣があったものとは言えない。〕。

また、前記二において認定したところによれば、原告は腹膜炎手術の術後に幻覚による譫言の所見を呈していたことが認められるが、《証拠省略》によれば、原告は、麻薬受容体のサブタイプ(シグマ)受容体の作動薬で、その作用として幻覚を誘発することのある非麻薬性拮抗性鎮痛薬ペンタゾシンを、昭和四六年七月四日、七日、九日、一四日の四回にわたって一日三〇ミリグラム(一五ミリグラム×二)投与されていたことが認められ、これらの事情に照らせば、原告に生じた幻覚による譫言はペンタゾシンによる一過性のものと推認でき、原告の主張する脳循環不全を窺わせる所見とはいえない。

以上検討したところに加え、前記2(多発性神経炎)で述べたと同様、前之園医師は、本件手術後の原告の状態が、前記二で認定した事実経過と異なり、かなり重篤な症状を呈していたと認識し、そのことが同人の右供述部分の重要な判断要素となっていると解されることをも考慮すると、右供述部分は必らずしも信用しがたく、原告の主張は採用できない。その他、本件手術及びそれに伴う諸処置によって脳循環不全が発症したことを疑わせる証拠もない。

4  血管神経性狭心症について

前認定のとおり、原告には、些細な精神的不安や体動による急激な心悸昂進、めまい、発汗及び意識喪失などの症状が見られ、証人前之園思無邪の証言によれば、同医師は右症状から本疾患に罹患したと診断したものと認められるけれども、森鑑定の結果によれば、右症状を呈する心疾患としてはWPW症候群あるいは心臓ノイローゼともいわれるものがあると解されるところ、WPW症候群の原因は心臓の興奮伝達系の先天異常であり、麻酔、手術及びそれらの合併症とは関係なく、心臓ノイローゼもその原因は不明であるが、麻酔、手術及びそれらの合併症として発現するとの報告例はないことが認められ、これらの諸事情を総合すれば、本件手術及びそれに伴う諸処置に起因して、原告に、頭書の疾患が生じたと解することはできないし、前記症状を呈するような心疾患が生じたとも解しがたい。

以上説示したとおり、前之園医師が診断した肝炎以外の疾患については、いずれも本件手術及びそれに伴う諸処置によって発症するものとは認められないから、右診断を前提とする限り、原告に生じた肝障害を除くその余の本件障害と本件手術及びそれに伴う諸処置との間に因果関係を認めることはできない。

しかも、前記二で認定したとおり、本件障害が、前之園医師の診察によって明らかにされたのは、腹膜炎の手術から八か月以上も経過した後のことであり、その間、原告は、身体の調子が良好であるとして自らの希望により出口病院を退院し、その後三か月間頻繁に同病院に通院した他、他の病院においても診察を受けたことがあったことに照らしても、肝炎の症状以外の本件障害が、本件手術及びそれに伴う諸処置によって発症したと認めることについては、重大な疑問があるといわざるを得ない。

四  そこで、肝炎の原因となりえた輸血及び麻酔の適否について検討するに、

1  前記二において認定したところによれば、原告には貧血の所見は見られず、十二指腸潰瘍手術時の出血量も三〇グラムにすぎなかったことが認められ、この点からは輸血の必要性はなかったものといえるが、《証拠省略》によれば、栄養低下が創傷治癒の遅延、即ち縫合不全の原因であり、食事の経口摂取が不可能な消化器手術の後には、縫合不全を避けるための栄養補給の意味で輸血を行うとの医学的見解も十分存することが認められるから、本件における輸血は医師の裁量の範囲内にあるものといえ、過失があるとは言いがたい。

また、《証拠省略》によれば、本件手術当時においては、事前の血液検査により輸血による肝炎を回避することは事実上不可能であったことが認められるから、この点においても、出口医師に過失があったとは言えない。

2  次に、原告は、フローセン麻酔が他の麻酔と比べて肝障害を起こしやすいうえ、四週間以内の反復投与によって更にその危険が増すものであるから、医師としては、前回の手術から一五日しかたっていない二回目の手術(本件腹膜炎手術)の際には、フローセン麻酔以外の麻酔法を選択すべきであった旨主張し、《証拠省略》には右主張に副うかの如き記載部分が存するが、《証拠省略》を総合すれば、フローセン麻酔が他の麻酔に比して肝障害を起こしやすいとはいえず、また、フローセン麻酔を繰り返すことにより肝障害の発現頻度が高まるとの見解もあるが、臨床上これを否定する見解も有力であることが認められ、これらの諸事情に鑑みれば、本件腹膜炎手術に際してフローセン麻酔を施行したことも医師の裁量の範囲内といえ、過失があるとは言いがたい。

3  以上のとおり、原告が肝炎に罹患したことについて、出口医師に過失を認めることはできない。

五  そうすると、原告に本件障害が発症したことについては、出口医師に同発症に結びつく過失があったとはいえない(原告は、前記検討したものの他本件手術の術前、術後の諸処置に関して種々過失を主張するが、仮に、これらを治療上落度ある行為ととらえたとしても、いずれも本件障害と因果関係あるものとはいえないことは、前記検討したとおりである。)し、診療契約上の義務違反があったともいえない(なお、本件の診療契約を請負と構成する原告の論は失当であり、採用できない。)から、出口医師の相続人である被告らに責任はない。

六  以上説示のとおり、原告の本訴請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 石田眞 裁判官 河合健司 大西忠重)

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